大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)354号 判決

被告人 矢部善夫

〔抄 録〕

所論は、原判決が被告人に対し無期懲役を科したのは、軽きに失し、当然死刑に処すべきものであると主張し、その理由とするところを第一ないし第八項目にわたつて論じているから、その理由とするところを本件記録及び原審において取り調べた証拠に現われている事実を精査し、原判決を仔細に検討するとともに当審事実調の結果をも参酌して審究することとする。

第一、本件犯行が極めて残虐かつ兇悪であるとの所論はこれを肯認するに足る。すなわち、右記録及び証拠により認められる被告人は、僅か十二才の少女で、しかも普通より身体の小さい本件被害者A女が一人で留守居をしているのを知つて居宅内に侵入し、同女に対し「金を百円ばかり貸してくれ」と申し向け、二、三言葉を交わしているうちに、被害者が被告人のただならない様子に恐れ「母ちやんよう」と言いながら逃げようとするのを矢庭に同女の手を捉え、無抵抗の同女を前から所持の刃渡一三糎位のうなぎ庖丁(原庁昭和三一年押第七四号の三)をもつて、その頸部を目がけて突き刺し、さらに首を垂れて沈黙した同女の後頭部、頸部等を数回突き刺し、深さ七・五糎に達する第四頸椎骨部の創傷のほか左頸頭部及び後頭部から左肩の後側にかけて六個の創傷を負わせて、延髄の創傷に基く呼吸麻痺により即死させた(原審鑑定人青柳兼之介の鑑定書による。)行為の残虐、兇悪なことはまさに目を蔽わしめるものがある。その上被害者は当時瓜連中学一年に在学中で茨城県日立市河原子海岸における臨海学校に本件犯行に遭う日の三日後から級友とともに参加することになつており、その喜びに胸を躍らせながら、そのため新調した浴衣、シユミーズ等を入れたスーツケースを傍らに置いて四畳間で読書中不幸本件兇行に遭つたもので、いたいけな少女の心情、被害者の両親柏力、同たけにとつては、被害者が三人の女児のうち中の一人で、小学校在学当時から成績も優秀で明朗な性格であり、両親はもとより周囲からも可愛がられており、何ら責められるべき事情とてないのに一瞬にしてその尊い生命を奪われた悲嘆の情は察するに余りあり、被告人の行為を憎むの情甚しいのも宜なるかなである。

第二、本件犯行が計画的に敢行されたものであるとの所論について。

なるほど、被告人が本件犯行の前々日、昭和三一年七月二一日職を求めて国鉄水郡線静駅から常北町石塚方面に向う県道を徒歩で行くうち、たやすく金銭を得るには、盗むにこしたことはないと考え、同日午後四時頃柏力方へ立ち寄つたところ、同家はかなり裕福そうで、附近は人家のまばらな農村地帯にあつて、折柄同家には被害者A女のほか三女B女(当時九年)がいるだけであつたから金品を盗むには好都合であると思つているところへ母親の柏たけ(当時四二年)が畑から帰つて来て、被告人に「主人は警察官だから早く帰るように。」といわれ一旦同家を立ち去つたが、右静駅に引き返す途中猿田弘道より柏力が警察官でなく、食糧事務所に勤めていることを聞いたため、柏たけの警察官の名を使つて被告人を追い立てたことに腹が立ち、柏力の出勤中の不在をねらつて白昼同人方に入り、家人を脅迫して金品を強取しようと考えるにいたつたが、翌二二日は日曜日であつたので主人の在宅を慮つて犯行を見合わせ、その翌二三日を決行の日に選んだという経緯は、原審公判廷における被告人の供述、被告人の検察官や司法警察員に対する各供述調書原審証人柏たけの証言猿田弘道の司法警察員に対する供述調書等によつてこれを認めることができるのではあるが、この経緯からすれば、被告人は当初金品を窃取する考えであり、柏力方を訪れた後、同家の様子を知つてから主人力の不在に乗じて家人を脅迫して金品を強取しようとする決意をなすに至つたのであつて、家人の生命を奪つてまで金品を強取しようとする強盗殺人(強盗致死)の犯意を昭和三一年七月二一日に有するにいたつたものと認定するに足る証拠はない。当審事実調の結果によるも右の認定を覆えすことはできない。さらに被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書その他の証拠を綜合するときは、被告人は右七月二一日午後四時過頃柏力方からの帰途金品強取の決意をなし、その決行日を翌々二三日の主人力の出勤中の不在のときを選ぶこととし、右二三日早朝たまたま同年五月頃買い求めておいた刃渡一三糎位のうなぎ庖丁(原庁昭和三一年押第七四号の三)を胴巻の中に収めて自宅を出て、水郡線山方宿駅から静駅につき、同日午前九時頃常北町石塚方面へ向う県道を歩いて柏方附近にいたり、様子をうかがつたが附近に通行人もあつたので犯行に及ぶのをためらい同日午後四時頃まで附近の土手の上や静神社の裏山の松林等を徘徊し二、三度近隣の農家の者に見咎められながらも意をかえることなく柏方の様子や附近の人影をうかがううち主人力の帰宅するであろう時刻も迫つてくるし、懐中には一文もないので、どうしても決行しなければならないと考え、母親たけが自宅より約一五〇米離れた畑に耕作していることを知り、先に同家に遊びに来ていたA女の友人も立ち去り、A女がひとり留守居をしているのを見すまし、被告人は意を決して同日午後四時頃県道から柏方にゆき同家勝手場板の間の端からA女に対し「大子まで帰るから百円貸してくれ」と申し向けたところ、同女が「金はない」と言うので、被告人は「じや母ちやん帰つてくるまで待つていべー」と言つてA女の脇の板の間に腰をかけていたところ、A女は金のことを話したので怖しくなつたとみえ座つたままで急に大きい声で「母ちやん」と叫んだ。被告人はA女に逃げられたら大変だと思いその手をつかみ「だまれ」というとA女がおどろいてなお「母ちやんよう」と叫んだので近くの畑にも三、四人が仕事をしていたのでA女の泣き騒ぐ声が聞えたら金をとることもできなくなると思い、A女を殺してしまうよりほかにないと思いうなぎ庖丁を取り出し右手でA女の咽喉のあたりを突き刺したものであることが認められ、A女は僅か十二才の少女で、そのとき所持金のないのも当然であり、自宅内の金の在り場所を知らないのも普通のことであり、また仮に金の在り場所を知つていたとしても両親に話すことなしに他人に金を出すようなことも容易に考えられないことであつてみれば、若しA女が被告人の「母ちやん帰つてくるまで待つていべー」との言をそのままに板の間に腰をかけていることに無関心であつたならば、(被告人の気配に恐怖を感じたであろうA女にこのことを要求することは無理には違いないが。)或いは被告人はA女を突き刺すようなことのなかつたであろうとさえ推認されるところであるから、被告人は原判示のように「A女がなおも恐怖の余り二、三度『母ちやんよう』と救いを求めて叫び声を出すや、とつさに同女を殺害して近隣の畑に耕作中の人に知れて逮捕されるのを免れるとともに金品を奪おうと決意しうなぎ庖丁を取り出しこれを右手に持ち同女の頸部を目がけて突き刺し」たものと認定するを相当とし、この認定を覆えすに足る証拠はない。従つて所論の被告人は最初から庖丁によつてA女を脅かし、応じないときは同女を傷付け或いは殺害しても金品を強奪しようと考えて柏方に侵入したものと認定することはできない。

仮に、被告人が柏方に侵入するときからA女を殺害しても金品を強奪しようと決意したとの所論に従うも、前記のようにA女において現金を所持せず、その在り場所を知らないものを被告人が庖丁をもつて同女を脅かしたところで同女より金銭を取得することの出来る筈もなく、また同女を傷付け、或いは殺害したところで金品強奪の目的を遂げることのできないことは、蓋しその数であるから、被告人に計画性があるとするならば、かような金品強奪の目的の遂げられないことをあえてするとも考えられないところであるから、所論はとうてい採用しがたい。要するに、原判示のように被告人はA女が恐怖の余り救いを求めた叫び声に驚き、とつさに同女を殺害しようと決意したものと観るのが事の真相に合致するものというべきである。

第三、本件犯行時及び犯行直後における被告人の言動が極めて冷静沈着であると論じ、その根拠として挙げた一ないし五の諸点は証拠上これを認めることができ、これらのことは被告人の大胆不敵な性格を物語るものと言い得るであろう。

第四、本件犯行当時の被告人の心身の状態、本件犯行の動機等についても所論のとおり特に酌量すべき事情を認めることはできない。被告人は原審公判廷において犯行当時神経衰弱気味であつた旨供述しているが、事理の弁別に支障を来たすほどのいわゆる心神耗弱の程度の精神障礙があつたものとは記録上とうてい認め得ないので酌量すべき事由というを得ない。

第五、被告人には毫も改悛の情が認められないとしての所論については、なるほど被告人は原審公判廷において「死んでお詑びする気はない。」旨述べているが、このことをもつて被告人に改悛の情がないと断言するのは、いささか被告人に酷であるといわなければならない。被告人自ら死することだけが謝罪の証ではない。被告人が生きながらその長い生涯を通じて常に贖罪の気持をもつて行動することがすなわち改悛の誠を尽すことであり、被告人が死を恐れるとともに被害者の生命を奪つた余りにも大きな自分の罪業に悔恨の情を現わしていることは記録上極めて明らかであるから所論は当を得ない。

第六、本件犯行の社会的影響の甚大なることは、これを肯認し得るところである。本件犯行のあつた瓜連町静附近が純朴な農村地帯で、農繁期には老人、子供が留守居をなし、その他の働くことのできる家族は朝早くから夜にいたるまで田畑の耕作に従事するのが実情で、白昼しかも僅か十二才の少女が留守居をなし、何ら責められるべき事由のないのに本件の兇行に遭つて生命を奪われたということの附近一帯に与えた衝撃の甚大なことは記録上明白であつて、いかに兇悪犯人といえどもその近親者若しくはその近隣者等の一部が犯人のために寛大な処分を願う上申書等の提出される事例の存するのに、本件についてはかような上申書等は少しもなく、却つて被害者の級友らより提出されている陳情書、瓜連町長以下町民の大多数から提出されている連名の上申書等がいずれも被告人に対し極刑(死刑)を望んでいる事実に徴しても本件の瓜連町附近に与えた社会的影響のまことに甚大であることを知ることができる。

第七、被害者の両親もまた宥恕の気持はさらになく、あくまで被告人に対し極刑を望んでおり、愛児を奪われた親の心情としては無理からぬことであり、それは単に被告人に対する憎しみの情ばかりでなく、社会平和のためにも極刑を望んでいる心情も察せられる。

第八、所論の裁判所が徒らに死刑の重大さに脅えて不当にその言渡を回避するようなことがあれば、法の権威と裁判の威信を失墜し世人の軽侮を招き、兇悪事犯の横行に拍車をかけるような虞のあることもまた肯定し得ることではあるが、死刑はあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またやむことを得ざるに出ずる窮極の刑罰であることは、死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものであるからである。しかして、人の生命の尊貴であることから死刑が窮極の刑罰であることを肯定することは同時に犯人によつて無慚に奪われた被害者の生命の尊貴であることに深く思いをいたさなければならない。ことに前掲第一において触れたように平和な農村で両親などが勤めや田畑へ働きに出てその留守居をして何ら不安を感ずることなく、ひとりおとなしく、近く暑休の臨海学校に参加することを楽しみに胸を躍らせながらいた純真な可愛らしい少女柏A女の生命を白昼無抵抗のまま金品強取の目的をもつて一瞬にして奪つた被告人の残虐兇悪な行為に対する問責の情は被害者に対する同情の念が深くかつ大であるだけにいよいよ強烈であつて、さらに前掲第三において論及したように被告人が柏A女を殺害してから後の行動が大胆不敵であつたことも被告人の犯罪的性格が極めて悪質であり、また前掲第七において説示したように被害者の両親に与えた衝撃はすこぶる重大で、その憎みても余りある報復感は被告人の刑事責任を慮るに当つて軽視することのできないことは言うまでもなく、前掲第六に明らかなとおり被告人の本件犯行が社会に与えた影響の重大であること、また前掲第四に説示するとおり被告人の本件犯行時における心身の状態、犯行の動機が特に酌量すべき点のみいだしがたいこと等は被告人の刑の量定について十分参酌されなければならないところである。

しかしながら、本件記録及び証拠、ことに原審公判廷における被告人の供述、当審証人矢部光子の証言等を綜合するならば、被告人が原判示のように精米業を営んでいた父矢部三三郎、母ナツの間に六人姉弟の長男として生れ、戦時中一家を挙げて日立市に転居し、昭和二〇年六月同市の戦災により父を失い、戦後母に育てられ、諸富野中学校に入学したが家庭が貪困のため通学も思うようでなかつた。中学卒業後二年半程東京都内北千住のそば屋に雇われたけれども同僚から働き振りに文句をいわれてやめ、その後は、東京都、茨城県、埼玉県内の飯場を転々として土工をして生活して来た。そしてこれまで前科はもとより警察署の厄介になるようなことはなく、その性格は生来無口で、友人も少く協調性に乏しく、非社交的であつた。被告人が土工をして働きに出ているうちに姉妹達は職を求めて他に働きに出てしまい、母は内縁の夫大津勇次と同棲することとなつたので、家へ帰つても肉親の愛情に接することが少なく、いきおい劣等感に捉われ、性格的にもひがみをもつようになつて来たのであるが、昭和三一年六月失職して自宅に帰り農家の手伝いなどしながら土工の職を求めていたところ、同年六月中旬頃当時山方町居住の土建業小室辰蔵より右大津勇次を介して静岡県内の土木工事に被告人を募集人夫の一人として同行してやろうとの話があり、被告人も大いに乗り気になつてその日を楽しみにしていたが、再々延期の末小室より被告人の同行を取り消す旨の知らせがあつたので、被告人は非常に悲観し、この上は自分で費用を工面し、単身で静岡県へゆき同地の土木請負業者に直接雇つてくれるように頼むよりほかにないと考え、その旅費等にあてるため農家の仕事を手伝い手間賃を稼ごうと考え同年七月二一日職を求めて国鉄水郡線静駅から常北町石塚方面に向う県道を歩きながら、たやすく金銭を入手するには、むしろ盗むにこしたことはないと考えるにいたつた事実が認められるのであつて、以上の事実が被告人の本件兇行の縁由をなすものであり、被告人のこの当初の考えからすれば事の意外に発展し取り返しのつかない重大な結果になつたことを被告人自らも非常に後悔し、日夜罪の重大なことにおののきおそれていることは記録上ことに被告人の原審以来の供述、当審証人矢部ナツ、同矢部光子の各証言にも窺われるところである。すなわち、被告人はその生い立ち、生活経歴、家庭環境等からして、生来無口で、協調性に乏しく非社交的であつて、思慮浅く、自分の考えを他に相談などして反省するようなことなく、一旦思い立つたことは前後の見境なく行う性格であつたため、本件において窃盗の決意が強盗のそれに発展し、ついに前掲第二において詳述したように、とつさの間に柏A女を殺害して逮捕を免れるとともに金品を強奪しようと決意し大外れた兇行をなすにいたつたものと考察するを相当とし、被告人が矯正することを得ない程の兇悪な性格であるとはとうてい認めがたいところである。なおまた被告人は昭和一〇年三月一八日生の前途春秋に富む青年で、本件犯行に対する責任を痛感し、日夜後悔しているとともに自らの生命を惜しむの心情の深いだけに被害者の生命を奪つたことのいかに重大な犯罪であるかの点も反省していることが窺われるが故に、前述のような本件兇行にいたる経過等に鑑みいまここに被告人を死刑に処して、その生命を断つよりも死一等を減じて無期懲役に処し、その永い生涯を通じ贖罪の実を挙げさせるべき処置に出ずることが、特別予防及び一般予防の見地からも妥当と思料せられるところである。

さて、被害者の両親並びに瓜連町多数町民の意見が、善良で純真な、しかも何ら責められるべき点のない少女が殺害されてその生命を奪われたのに、その生命を奪つた犯人が生きられるとあつては、不公平であり、これでは社会の平和的秩序が保たれない、基本的人権擁護や国家治安保持の点からも犯人を死刑に処すべきであるというのであることは当審事実調の結果によつても明らかである。なるほど前にも一言したように人命は尊貴であり、被害者の生命こそは犯人の生命にもまして尊重されなければならないのであつて、ことに前述のような純真な可愛いい少女の生命を奪つた被告人の行為は、あくまで許しがたいには違いないが、さればとてこの少女の生命を奪つた被告人を直ちに死刑に処してその生命を奪うべきであるとの論は刑罰を応報と考えるところのものであつて、刑罰の軽重が犯罪行為の大小によつて量られる面のあることも否定することを得ないが、さらにこの犯行をなすにいたつた犯人の性格、その生活経歴、前科の有無、家庭環境、犯行の動機、原因、犯後の情況等諸般の情状を勘案して、犯人に対しては死刑以外の刑に処すべきでないと結論される場合において、はじめてこの窮極の刑を選択すべきであると考えられる。

本件被害者の遺族、その周囲の多数者の感情、意見等を一概に軽視し得ないのではあるが、前述のように被告人が本件犯行をなすにいたつた経過に鑑み、その犯行に対する改悛の心境を助成しその春秋に富む一生を通じての贖罪生活により心身の罪過を洗い落させ、如何なる苦難にも打ちかち正道を踏んでひるむことなき性格を培わさせるべきで、かような無期懲役の執行による被告人の贖罪生活こそは被害者の霊を慰め、遺族の被害感情や周囲の悪感情をやがて医すことができるであろう。

これを要するに、以上説示のように被告人の性格、年令、生活経歴、家庭環境、本件犯行の動機、態様、罪質、被害者及びその遺族に与えた精神的、物質的損害、社会的影響、犯罪後の被告人の心境等あらゆる情状を勘案し、検察官の所論のすべてを検討参酌するも、原判決が被告人に対し無期懲役に処したのはまことに相当であつて、これを軽きに失するものとはとうてい認みられないので論旨は理由がない。

(工藤 草間 渡辺好)

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